Special Feature
ジャファー・ジャクソン:
映画「マイケル」までの
波乱の道のり
「マイケル・ジャクソンの伝記映画が制作される」――。この一報が世界を駆け巡ったとき、世界中の熱心なファンが最初に抱いたのは、期待よりもむしろ深い懸念だった。「一体、誰がマイケルを演じられるんだ?」
並外れた身体能力、透き通るような繊細な声、そして弾けるような純粋無垢の笑顔。それらすべてを同時に体現できる人間など、この世に存在するはずがない。誰もがそう思っていた。
しかし、製作陣はそんな誰よりも厳しいファンベースに向けて、ぐうの音も出ない「最高のアンサー」を叩きつけてみせた。発表された主演の名は、ジャファー・ジャクソン。マイケルの実兄であるジャーメイン・ジャクソンの息子だ。
誰が選ばれても納得しなかったであろうファンたちも、「血縁者」という圧倒的な説得力の前には沈黙せざるを得なかった。その選択の時点で、製作陣の勝ちは決まっていたと言える。しかし、真に素晴らしいのは血縁関係という事実だけではなかった。ジャファーという青年は、マイケルの芸術性と、その裏にある精神性の本質を体現できる、唯一無二の稀有な存在だったのだ。
「ゴルフ少年」が音楽と出会うまで
ジャファー・ジャクソンは1996年7月25日、ジャーメイン・ジャクソンとコロンビア出身のアレハンドラ・オアジアザの間に生まれた。実弟のジャーマジェスティをはじめ、両親の過去のパートナーとの間を含めると、計11人もの兄弟姉妹がいる大家族だ。
あまりにも強大な音楽一家に生まれた彼だったが、意外にも少年時代に熱中したのは音楽ではなく「ゴルフ」だった。3〜4歳の頃にクラブを握ると、2人のコーチから毎日レッスンを受け、タイガー・ウッズに憧れてトーナメントに出場するほど没頭していたという。
そんな「ゴルフ少年」の内に眠るジャクソンの遺伝子を目覚めさせたのは、父ジャーメインだった。ある日、父はジャファーに一曲の「課題曲」を与えた。人前で歌った経験のない彼に、「2週間練習して、自分の前で歌え」と命じたのだ。ピッチやテンポに極めて厳しい父の前での初披露。ジャファーは張り詰めるような緊張の中にいた。
その課題曲とは、ジャクソン5のアルバム『Skywriter』に収録され、かつてマイケルとジャーメインがツインボーカルを務めた隠れた名曲「Touch」だった。のちにジャファーはこう振り返る。
「父の意図はよく分かりません。ピッチや音域を学ばせたかっただけかもしれない。ただ、父のためにパフォーマンスを披露するということ自体が、当時の僕にとっては本当にエキサイティングな経験でした」
— Jaafar Jackson2週間後、熱心に練習を重ねた息子の歌声を聞いたジャーメインは、そこに隠された類稀な才能を確信する。「君には才能がある」。父はその日を境に、ジャファーをレコーディングスタジオへ連れて行くようになった。
生来シャイな性格のジャファーは、スタジオでの自己表現に当初は苦戦した。しかしジャーメインは、息子がリラックスできるよう根気強く寄り添い、音楽業界のルールや、やるべきこと・避けるべきことをすべて叩き込んだ。「自分が子供の頃に教わったすべてを、この子に授けたい」という一心だった。
「父はいつも教えてくれました。魂を込め、できる限り一生懸命に努力すれば、人々はそれが本物かどうか、才能があるかどうかを必ず見てくれる。そのパッションを共有するんだ、と」
— Jaafar Jacksonレコーディングを重ねるうちに、10代のジャファーの心には音楽の炎が完全に灯った。彼はゴルフバッグを置き、音楽の道へ専念することを決意する。その情熱は凄まじく、この時期に彼はなんと独学でピアノまで習得してしまった。
10年間の沈黙
10代の多感な時期、ジャファーは数多くの著名なアーティストやプロデューサーとコラボレーションを重ねた。その中には、マイケルの名盤『Invincible』を手掛けたロドニー・ジャーキンスのような大物も含まれていた。
彼は自らソングライティングを行い、実に50〜60曲もの楽曲をレコーディングしていった。しかし、そのすべてをお蔵入りにし、1曲としてリリースすることはなかった。なぜか。ジャファーはこう語る。
「13歳から音楽を始めて、ようやく23歳になって最初の曲をリリースした。その理由は、さまざまな人とコラボしながら、自分の作り出すサウンドに心から自信を持ちたかったからだ。成功は一夜にして起こるものじゃない。努力して、より良くなり続けなければならないんだ。僕は急ぎたくなかった」
— Jaafar Jacksonここにあるのは、恐ろしいほどの「完璧主義」だ。自分が100%納得したものしか世に出さない。その妥協なき姿勢は、叔父であるマイケルから受け継いだ精神そのものだった。
「完璧主義であること、自分の技術を確実に完璧にし、物事を次のレベルへと引き上げようとすること。常に今よりも上手くなろうと努力すること。練習こそが完璧を作る(Practice makes perfect)のだと、叔父は私にインスピレーションを与えてくれました。そして、彼が作ったビデオや、チャリティを通じた人道活動、人々への恩返し、『団結と愛』のメッセージを広める姿勢。それは現代の世界において、最も重要なことだと信じています」
— Jaafar Jacksonこの沈黙の期間に制作された幻の楽曲「Universe Of Love」が、2021年に何者かによってネット上にリークされる。マイケルの「Heartbreaker」に関わったプロデューサー・Mistckeが手掛けたそのトラックは、まさにMJサウンドの正統なる後継曲だった。そして何より、伸びやかでクリアなボーカルがあまりにも叔父のマイケルに酷似していたため、ネット上は「マイケルが生き返った」と大きく騒然となった。
表舞台には立たず、ひたすら自分の音と向き合い続けてきたジャファー。2019年に入ると、彼はレコーディングスタジオを完全に貸し切り、より制作に没頭していく。
毎日12時間以上もスタジオにこもりっぱなしの濃密なセッションに彼が呼び寄せたのは、数年来の付き合いになるプロデューサー、ハーディ・インディゴだ。マドンナの「Superstar」などを手掛けたR&B系のプロデューサーであるハーディは、ダンサーとしてキャリアを始め、ファッションデザインや映像制作までマルチにこなす異才だった。
ひと回り年の離れたハーディとの間に、ジャファーはかつてないケミストリーを感じていた。スタジオに籠もった二人は目まぐるしい勢いで楽曲を制作し、気づけばその数は20曲にのぼっていた。確信を得たジャファーは、ついにデビューアルバムのリリースを決意する。
1stアルバム『Famous』の完成、順風満帆な滑り出し
ファーストアルバムからの先行シングルに選ばれたのは、スタジオに籠もって2曲目に制作された「Got Me Singin」だった。ブラジル発祥の打楽器系クラブミュージック「バイレ・ファンク」のエッセンスを取り入れた、現代的でアップビートなナンバーだ。
この楽曲のために、ブラジルの市街地でミュージックビデオも撮影された。デニムにシャツを無造作に羽織った自然体のジャファーが、あの無垢で魅力的な笑顔を武器に女の子を口説く。そこには20代の等身大でフレッシュな魅力が溢れていた。
1ヶ月の準備期間と3日間の撮影を経て完成したこのMV。メイキング映像には、常にジャファーの隣にいるプロデューサー・ハーディの姿があった。ハーディはそのマルチな才能を活かし、音楽だけでなくジャファーのビジュアル面にも協力した。ビデオの方向性を熱く議論し、ジャファーのダンス練習をハーディがiPhoneで嬉しそうに撮影する。その密接な信頼関係は、かつて世界を熱狂させた80年代の「マイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ」の黄金コンビを彷彿とさせた。
二人が作り上げた「Got Me Singin」は、デビューシングルながらわずか1ヶ月でYouTube再生回数600万回を突破(2026年5月現在、1,300万回を記録)。ジャファーはテレビ番組にも積極的に出演し、2019年夏に予定されていたアルバムリリースに向けて、自分の音楽が世界に届く興奮に胸を躍らせていた。まさに、誰もが羨む順風満帆なスタートだった。
暗転――「ジャクソン」という名の過酷な宿命
ジャクソンファミリーの大型新人。その肩書きがあれば、世界中の大手メジャーレーベルが契約書を持って群がったはずだ。しかし、ジャファーはあえて挑戦的、かつ茨の道を選んだ。
彼がパートナーに選んだのは、大手レーベルではなく「NASGO」というIT系のスタートアップ企業だった。NASGOはブロックチェーン技術を駆使し、レーベルを介さずアーティストとファンが直接繋がる分散型のシステムを売りにしていた。いわば、最先端の会員制オンラインプラットフォームだ。
仲介者がいないため、作品の内容もプロモーションもすべて自分の手でコントロールできる。クリエイティブの方向性を自ら熟知していた完璧主義の彼にとって、それは理想的な環境に見えた。何より、彼は自分の音楽活動を「人道支援」に直結させたいと切望していたのだ。当時のインタビューで、彼は目を輝かせながらこう語っている。
「この新しい技術を使えば、世界中の人々とダイレクトに繋がれる。そして、人道支援活動に対する僕のビジョンと情熱を、そのまま世界に共有できるんだ」
— Jaafar Jacksonしかし、純粋すぎる理想を掲げて選んだその道は、予想だにしない絶望へと繋がっていた。
アルバムのリリース日は2020年5月22日とアナウンスされた。収録曲は11曲。『Off The Wall』期のマイケルを彷彿とさせる伸びやかなボーカルが光る「Where Are You」や、トレンドのアンビエントR&Bの要素を取り入れた極上のトラック『Ready For You』など、ジャクソン家の正統なるDNAを継ぎつつも、現代の音楽シーンの先端で戦うことができる傑作に仕上がっていた。
しかし、当日を迎えても、アルバムが配信されることはなかった。
結論から言えば、ジャファーが信頼したスタートアップ企業「NASGO」の正体は、巨額の証券詐欺グループだった。投資家に虚偽の情報を流して多額の資金を巻き上げ、上層部はその金を私利私欲や、サービスが繁盛しているように見せかけるサクラの雇用につぎ込んでいたのだ。2022年4月22日、米国証券取引委員会(SEC)はNASGOの創設者らを提訴。事実上、サービスは完全に停止した。
これにより、ジャファーのデビューアルバムは永久に闇に葬られることとなった。
何より残酷だったのは、アルバム発表までにジャファーがNASGOの広告塔として、あらゆるメディアに引っ張りだこにされていた点だ。創設者と共にメディアに出演し、結果として詐欺ビジネスの「信用」に利用されてしまった。「最先端の技術で世界を救える、人道支援ができる」――そう信じ込まされていたジャファーは、ただ純粋な善意から彼らをプラットフォームに選んでしまったのだ。
13歳から10年間、一歩も引かずにスタジオに籠もり、血の滲むような努力で磨き上げてきたクリエイティブ。それが、ようやく世界に報われるというその瞬間に、金を求める部外者たちによってすべてを粉砕された。
大人たちの裏切り、商業的な利権の餌食、そして理不尽な搾取。それはかつて、叔父マイケルが通ってきた道とまったく同じだった。あまりにも才能に溢れ、巨万の富を生み出してしまう「ジャクソン」という名字が背負う、逃れられない呪縛であり、宿命だった。
「僕はこの苗字を望んだわけじゃない」
お蔵入りとなってしまった幻のアルバム『Famous』。その配信中止が決定する直前、ジャファーはインスタライブを配信し、ファンからの質問に答えていた。「アルバムの中で、一番思い入れのある曲は?」という問いに対し、彼は静かに、ある一曲の名を挙げた——。

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